
紹介:宮原奨伍 聞き手:広山詞葉
広山詞葉(以下、広山):記念すべき第一回目の本紹介、お願いします!
宮原奨伍(以下、宮原):新潮社から出ている、長谷川康夫さんの『つかこうへい正伝』です。
広山:どんな本ですか?奨伍さんが何度も読んでいる痕跡がありますが。
宮原:そうですね。著者の長谷川康夫さんは、つかこうへいさんの伝記であると共に、自伝のように書かれています。長谷川さんが、つかこうへいという人物を世に伝えたいという情熱、そして長年一緒にいたからこそ分かるエピソードが散りばめられていて、つかこうへいという人間の感情を深く知ることができるようになっています。
広山:長谷川さんは俳優さんで、学生時代からつかさんと付き合いがあったんですよね。
宮原:そうですね。
広山:長谷川さん目線で描かれているんですか?
宮原:長谷川さん目線だけではなく、50名以上の方々に取材をして、その人達から聞いた話が載っています。でも、つかさんは長谷川さんにはこう言っていた、というつかさんの二面性が見えたりするのも面白いんです。
広山:著者の考察なども含まれているんですね。
宮原:そうですね。ここに書かれているのが、つかさんが生きていたら「てめえの日記にオレを出しに使うんじゃねえ」って言われそうだ、みたいなことが書かれていて。
広山:長谷川康夫さんは、つかこうへいさんが『つかこうへい』になる前からお付き合いがあると思うのですが、その頃からのお話も書かれているんですか?
宮原:はじめは、携帯電話が鳴る所から始まるんです。電話は劇団「つかこうへい事務所」の制作を務めていた菅野重郎さんからで、「つかさんからパッタリと連絡が来なくなったんだけど…」という所から始まって。そのあとは、大学時代の話で、最初は詩を書いていたという話も出てきますね。
広山:脚本じゃなくて?
宮原:ポエムですね。処女作の『ミルキィドライブ』もここに載ってますね。で、この本の表紙にも1968年から1982年と書いてあるんですが、
広山:何の年代ですか?
宮原:つかこうへいさんの、ここからここまでを順序立てて書いてありますよ、ということです。一番最初だけ「別れ」から始まりますが、そこからは大学時代のことや、VAN99ホールのこと、紀伊國屋ホールから声がかかるまでの話も出てきます。実はつかさんって、紀伊國屋ホールに凄い憧れてたって。
広山:へー!
宮原:「新劇」という所から評価されたいって凄く思っていたみたいで。紀伊國屋ホールは新劇の聖地だったから。
広山:そうですよね。
宮原:つかさんが劇場に来るとお祭りになるみたいですね。
広山:お祭り?
宮原:お客さんと同じように、劇場スタッフもみんな喜んでいました、みたいなことも書かれてて。
広山:つかさんを追っていくことで、その時代の演劇の雰囲気も伝わってくるって感じですね。
宮原:凄い伝わってきますね。1982年というのは、劇団「つかこうへい事務所」が解散するまでが書かれていて。続編で『つかこうへい正伝Ⅱ』もあって、そこでは1982年の劇団解散から1987年の「演劇活動再開」までの、いわば空白の期間となっていた頃のことが書かれています。
広山:わあ、面白い。
宮原:実はまだ僕もⅡは読めていないので、詞葉さんに読んでもらってここで話してもらおうかと思っています(笑)
広山:分かりました(笑)『つかこうへい正伝』にはどんなつかさんが描かれているんですか?
宮原:脚本をどういう風に書かれていたか、とか、実はこの女性に惚れていたんじゃないか、とか。
広山:赤裸々な。
宮原:結構赤裸々ですね。帯にも書かれていますけど、「役者はウケてんじゃねぇ、オレがウケてんだ!」も人柄が出てるなと。
広山:これ凄いですね、今までインタビューを受けてくださった皆様が、つかさんの印象に残っている言葉でこれを挙げてますよね。
宮原:そうですね。この本には風間杜夫さんや平田満さんや井上加奈子さんや三浦洋一さん、角野卓造さん、柄本明さんなど、今も活躍する方々が続々と登場するんですが、あ、そこで出会ってるんだ!とか、その時もうここにいたんだ!とかも楽しめます。
広山:ちょっと今、目次だけ見てても面白くて、第5章「教祖への道」。
宮原:よく書きましたよね「教祖への道」って。でもこれって、つかさんが亡くなってから出版されてるんですけど、準備段階はご存命だったわけで、
広山:はい。
宮原:長谷川さんがこれを一冊書くのに構想含めて6年くらい掛かってるんですよね。僕がこれを読んで思ったのは、つかさんは本当に人が好きなんだと思うんです。誰と誰が今そこで揉めていて、よし、じゃあオレが解決してやろう!とスッと中に入ったりするエピソードなんかもあったりして。
広山:そうなんですね!わたしも少し目を通した時に、面白かった所があって。
宮原:なんですか?
広山:つかこうへい、つかこうへい、つかこうへいつかこうへい、「いつかこうへい」と言われている有名なあのエピソードがありますが、実はそんなことはないっていうのありましたよね。
宮原:ありましたね。
広山:それが衝撃で(笑)
宮原:(本を開いて)ここですね。「つかこうへいのペンネームについては、そろそろ触れておかなければならないだろう。つかこうへいが、“何時か公平”を意味し、自らの在日韓国人という立場への思いが込められているという、現在すっかり独り歩きしてしまった説を唱えたのは、評論家のソンミジャである。(中略)つかは否定しながらも、「ぼくはいつも虐げる人間と虐げられる人間を描いてきたから、そう受け取ってもらっても構いませんよ」と、微妙な答え方をしたというのだ。ああ、つかさんやったな…と僕は思う。」ってありますね(笑)
広山:ははははっ(笑)
宮原:「ゆえに“何時か公平”説を伝えられたとき、つかはかなり面白がったのだと思う。「これ使える」と、瞬時に判断したのだろう。思ってもみなかったこじつけにどこか喜び、「そう受け取ってもらっても構わない」と言葉をわざと濁して、ニヤリとしたのではないか。」
広山:面白い。このエピソードだけでもつかさんの人柄が見えてきますね。
宮原:他にもエピソードは沢山あって。
広山:はい。
宮原:長谷川康夫さんが主演で決まってた舞台を急に降ろされたことがあって、「お前、自分が降ろされた舞台見たくねえだろ、どっか行ってこい」ってお金を渡されて長谷川さんが一人で遠くに行ってはそこで、黙々と脚本の写しをさせられてたらしくて、それを面白おかしくネタにされてたって。
広山:そんなことまで書いてるんですか。
宮原:この本の最後は、映画版「蒲田行進曲」のことが書かれてて終わるんですけど、つかさんが、監督の深作欣二さんにジェラシーがあったらしくて。
広山:嫉妬されたんですか。
宮原:自分の作品を映画化することになって、舞台よりもヒットしたことを現実に見せられた時に、執筆を一度辞める時期に入ったから、それも影響したのかなとか思いながら読んでましたね。
広山:そこから『つかこうへい正伝Ⅱ』に繋がっていくわけですね。
宮原:はい。改めてこの一冊っていうのは、つかこうへいさんを知る上でバイブルと言っても過言ではない一冊だと思います。つかこうへいさんがどこで生まれて、どういう境遇で育って、どんな学校に行って、どんな方々が周りにいて、どんな道に進んでいくのか、初めて劇場に進んでいく時の話も書かれています。そこから“つかブーム”になっていくまでの流れなど全てここに詰まっています。是非、興味を持って頂けた方は、一緒に読んでいきましょう。
広山:ありがとうございました!
宮原:ありがとうございました!