『つかこうへいを読む旅』第2弾「つかへい腹黒日記」が公開されました。

ユーモアと毒気が同居する、つかこうへいの連載エッセイ集一作目。身近な人々とのやりとりを通じて、虚実入り混じる独特の世界観が楽しめます。

#2「つかへい腹黒日記」(つかこうへい著)> https://shogopro.com/read/120/

紹介:広山詞葉 聞き手:宮原奨伍

宮原奨伍(以下、宮原):おはようございます。

広山詞葉(以下、広山):おはようございますですけど、見てる人はおはようございますじゃないかもしれないですね。

宮原:そうですね。笑

広山:はい

宮原:それではつかこうへいを読む旅の第二回は詞葉さんが紹介してくれます。

広山:よろしくお願いします。

宮原:よろしくお願いします。

広山:私が選んだのは「つかへい腹黒日記」です。これは1、2、3とある中の、1作目ですね。

宮原:はい。

広山:これは、つかさんの日記が書かれていて、一作目は、1981年の9月10日~1982年の1月19日までが書かれた、まさに「日記」ですね。

宮原:5カ月間の日記なんですね。

広山:ここの時期の何が面白いかというと、つかこうへいさんが直木賞を受賞されたのが1982年の、1月。

宮原:なるほど。じゃあ直木賞までの4、5ヶ月間が描かれてるんですね。

広山:ノミネートされて、その出版者との話とか、それがあれですよ。今や有名な見城徹さん(現・幻冬舎代表取締役社長)が、その時のつかさんの担当で、当時は角川だったんですね。

宮原:そうなんですね。

広山:見城さんとのやりとりだったり、受賞されてからのお話だったりとか、あとは『銀ちゃんのこと』の公演の初日のことだったりとかが書かれています。

宮原:これは一人称は僕なんですか?

広山:僕です。本当に、日記ですね。

宮原:そうなんですね。

広山:すごい短い日もあれば、長い日もあるんですけど、あのね、

宮原:はい。

広山:もう冒頭3行からめちゃくちゃ面白くて。やっぱりこの、つかさんの言葉の強さを日記でも感じます。

宮原:その冒頭3行っていうのはどういう始まり方なんですか?

広山:一九八一年九月十日。 この夏、部屋に閉じこもりっきりで書いた『銀ちゃんのこと』三百枚が出来あがる。各出版社に電話して、入札するから金もって来いと連絡をとる。やはり現金取引の角川書店、話が早い。 オレ担当の見城徹がアタッシュケースに金を詰め込んで一番乗りしてきた。

宮原:なるほど。

広山:なかなかこんなパワーを持った日記ないんじゃないですかね?やってることが、すでにパワフルですからね。

宮原:すごいなあ。

広山:すごいワクワクしたのは、ここには女たちが出てくるんですよ。

宮原:女たち?

広山:はい、まさに女たちがいっぱい出てくるんですよ。 “めかけ”みたいな言い方してますけど。金沢の毬恵、ススキノの百合子、ロスのユミとか。

宮原:うんうん。

広山:ユミに会いたくなったら、急遽航空券を取って、思い立ってロスに会いに行ったりするんですよ。

宮原:はい

広山:ススキノのスナックやってる百合子に会いたくなってススキノに行ったりするんですけど、でも言葉を交わさずに出て来て、そしたら百合子はそっと涙する。と書いてあるんですけど、

宮原:はい。

広山:でもどうやらそれは、解説を読むと嘘みたいで。 笑

宮原:あ、全部作り話ってことね。笑

広山:架空の女たちなんですって。

宮原:想像の中でね。なんかいいね、それはそれで。

広山:日記だよ?笑

宮原:書くことないから書いちゃったのかな?

広山:面白いよね。でもそれでいいもんね。読み物だから、別に。

宮原:確かにね。そうですね。まず、この「腹黒日記」っていうのが、またね、いいですよね。

広山:ワードがね、いいですよね。でも確かに腹黒なんですよ、つかさんってわざと、口を悪く描くじゃないですか。

宮原:そうですね。

広山:ちなみにわたし、戯曲以外のつかさん作品を初めて読んだんですけど、そういう意味では、これが初めてでよかったなと思いました。

宮原:はははは

広山:なんかね、当時1800円で『銀ちゃんのこと』が上演されていたんですけど、そこで「いいか、客を人間と思うな。1800円が歩いてくると思え。」って書いてあるの。

宮原:なんだそれ笑

広山:腹黒でしょ。

宮原:腹黒だねー。 なかなかねお客さんに向かって言えないことだしね。

広山:そうですね。

宮原:じゃあこの腹黒日記っていうのは、つかこうへいさんの普段の生活だとか、使っていた言葉とか口調とか、そのまま書かれているんですか?

広山:そのまま書かれているし、つかさんの美学を感じます。

宮原:どんな美学?

広山:なんか俳優のことを、すごい貶してるんだけど、俳優が風邪ひいたらマンションまで行って看病してやって、とか、ごちそうしてやって、とか。 でも、ごちそうしてやったけど、途中から腹立ってきて、誰が何本焼き鳥の串食べたか数えて、風間はどうだ、平田はどうだ、みたいなことが書いてあるんですね。

宮原:面白そう。

広山:面白いですよ。あっという間に読めました。

宮原:他人の日記を読むっていう観点でも面白いかもしれないですね。

広山:ただ、おそらく、読まれる前提ではやっぱり書いてるんですよね。 引き出しの中に仕舞っておく、いわゆる私たちが小学生の時につけてた見られたら恥ずかしいやつとは、やっぱりちょっと違う、ちゃんとエンターテインメントとしての日記になっていると私は感じました。

宮原:なるほどなあ。じゃあ、その『銀ちゃんのこと』のことも書かれているってことですけど、その時代の雰囲気もすごく読み取れるっていう感じですか?

広山:そうですね。 まさにその紀伊國屋ホールで観る演劇のチケットが1800円とかも時代を感じるし、あと蒲田行進曲の小説を出されたのもその時期で、紀伊國屋ホールの受付のところでサイン会をした話だったりとか、当時のつかさんのイケイケの時代が書いてあります。

宮原:その時代の、そういう日記を読んで、詞葉さんはどんなことを感じたんですか?

広山:やっぱりかっこいいっていうのが私の感想でした。

宮原:かっこいい。うん。

広山:愛があるから。腹黒なこといっぱい書いてあるし口も悪いんだけど、それがきっと照れ隠しで愛の塊の方なんだな、と。 でもそれをまっすぐ暑苦しい感じには書かなくて、読み物として面白くしてあるのがすごいなぁと思いました。あっという間に読んじゃいましたし。

宮原:そうなんですね。

広山:あとすごい好きだった言葉が。

宮原:はい。

広山:あ、これも本当かどうか分かんないですよ。
宮原:もはやね。 笑

広山:そうそう、どこからどこまでが本当で、どこからが創作なのかは分かんないんですけども、エンタメとして読む話として、蒲田行進曲の小説を出して、そのサイン会をしてる時に「これ、私のことを本にしましたよね!」って女の人が突っかかりに来たんですって、つかさんに。

宮原:えー

広山:馬乗りになって首を絞めてきやがったって。 それをつかさんは、さらに馬乗りになって首を絞めてやったんだって。

宮原:ええ!

広山:で、「出版社の担当者や紀伊国屋書店の係の人たちが慌てて飛んできて、俺をその女から剥がそうとするが、俺はそいつらを手で払いのけ、さらにぐいぐい女の首を絞めたよ。 よだれをたらたら流し、ロンパリになった俺の目を見て、周りの連中はつかさんが狂った!つかさんが狂った!と躍起になって、俺を取り押さえた。」っていう話があるんですけど、その後、狂った女の方が逆にしらけちゃって、正気に戻って帰って行った。とあって。

宮原:ははははっ

広山:その後の1行が「ざまあみろってんだ。 お前らとは狂い方の格が違うんだよ。」って!

宮原:うん。

広山:かっこいい!

宮原:なるほどね。笑 え、狂いたい人なんですか?詞葉さんは。

広山:そうかも。笑 いやかっこいいなぁって。私ここが一番好きでした。

宮原:そっか。なぜこんなにもつかこうへいさんやその作品に魅了されるのかどうかっていうのを、本企画の中で探っていきたいって言ってたじゃないですか。

広山:はい。

宮原:ここにちょっと、ヒントがあるのかもしれないですね。

広山:そうですね。今まだ旅を始めてまだ数ヶ月の序盤ですけど、今のところ私が感じているのは、愛とユーモアがある人だから、そこに惹かれているって感じがしてますね。

宮原:なるほど。

広山:わたし『つかへい腹黒日記』を読んだところまでの私の旅の途中の感想です。

宮原:ありがとうございます。僕も読んでみますね。

広山:ぜひ。読んでみてください。あっという間に読めます。

宮原:第2回のつかこうへいを読む旅『つかへい腹黒日記』でした。

広山:ありがとうございました!

宮原:ありがとうございました!

宮原奨伍プロデュースYouTubeチャンネルにて、第2回目のゲストとして錦織一清さんのインタビューが公開されました。
“つかこうへい”との思い出や舞台への想いなど、錦織さんならではの視点で語られる貴重なトークをお楽しみください。
当ホームページ内〖つかこうへいを語る旅〗内からでもご覧いただけます。

錦織一清さん演出の『熱海殺人事件』の稽古中であります。17年前に、自身初めての商業演劇『エドの舞踏会』でご一緒して以来の現場、錦織さんがつかさんを敬愛していることは知っておりましたが、このタイミングでご一緒させて頂けることに必然を感じたりもするのであります。本当にありがたい機会を頂き、更にこの企画の快くお力添えを下さることに深き感謝をしております。(宮原奨伍)

風間杜夫さんとは新宿梁山泊の金守珍さんの元で『ベンガルの虎』でご一緒したのが出逢いです。そこから懇意にさせて頂いております中で、いつもごきげんに語ってくださる、そして背中で魅せてくださる先輩です。

風間杜夫先輩が、つかこうへいさんと多くの作品を共にしてきたことは勿論知っておりましたが、今回お話を改めて聞いて、つかイズムのようなものがやはりそこには存在していることを知り、ぼくもそこに到達したい、熱海殺人事件を戯曲としてもより深めたい、汗と涙の熱海を、そしてこの紀伊國屋ホールに熱氣が渦巻くような作品にしたいと、改めて思っております。(宮原奨伍)

宮原奨伍プロデュースYouTubeチャンネルにて、初回ゲストとして風間杜夫さんのプレミアムインタビューが公開されました。
風間杜夫さんの貴重なインタビューを通じて、“つかこうへい”という人物に迫る内容をお届けします。
記念すべき第一回目のプレミアムインタビューを、ぜひご覧ください!
当ホームページ内〖つかこうへいを語る旅〗内からでもご覧いただけます。

お待たせしました。
宮原奨伍プロデュース『宮原奨伍とつかこうへいを知る旅』、公式サイトがついにオープンしました。
劇作家・つかこうへいの人生と創作の核心に迫る365日の記録。
インタビューや資料、映像、そして宮原自身を通して、つかこうへいは何者だったのか、なぜ人々を魅了するのかという問いを辿る壮大な旅が始まります。

最新情報は随時こちらでお知らせしていきます。どうぞご期待ください。

紹介:宮原奨伍 聞き手:広山詞葉

広山詞葉(以下、広山):記念すべき第一回目の本紹介、お願いします!

宮原奨伍(以下、宮原):新潮社から出ている、長谷川康夫さんの『つかこうへい正伝』です。

広山:どんな本ですか?奨伍さんが何度も読んでいる痕跡がありますが。

宮原:そうですね。著者の長谷川康夫さんは、つかこうへいさんの伝記であると共に、自伝のように書かれています。長谷川さんが、つかこうへいという人物を世に伝えたいという情熱、そして長年一緒にいたからこそ分かるエピソードが散りばめられていて、つかこうへいという人間の感情を深く知ることができるようになっています。

広山:長谷川さんは俳優さんで、学生時代からつかさんと付き合いがあったんですよね。

宮原:そうですね。

広山:長谷川さん目線で描かれているんですか?

宮原:長谷川さん目線だけではなく、50名以上の方々に取材をして、その人達から聞いた話が載っています。でも、つかさんは長谷川さんにはこう言っていた、というつかさんの二面性が見えたりするのも面白いんです。

広山:著者の考察なども含まれているんですね。

宮原:そうですね。ここに書かれているのが、つかさんが生きていたら「てめえの日記にオレを出しに使うんじゃねえ」って言われそうだ、みたいなことが書かれていて。

広山:長谷川康夫さんは、つかこうへいさんが『つかこうへい』になる前からお付き合いがあると思うのですが、その頃からのお話も書かれているんですか?

宮原:はじめは、携帯電話が鳴る所から始まるんです。電話は劇団「つかこうへい事務所」の制作を務めていた菅野重郎さんからで、「つかさんからパッタリと連絡が来なくなったんだけど…」という所から始まって。そのあとは、大学時代の話で、最初は詩を書いていたという話も出てきますね。

広山:脚本じゃなくて?

宮原:ポエムですね。処女作の『ミルキィドライブ』もここに載ってますね。で、この本の表紙にも1968年から1982年と書いてあるんですが、

広山:何の年代ですか?

宮原:つかこうへいさんの、ここからここまでを順序立てて書いてありますよ、ということです。一番最初だけ「別れ」から始まりますが、そこからは大学時代のことや、VAN99ホールのこと、紀伊國屋ホールから声がかかるまでの話も出てきます。実はつかさんって、紀伊國屋ホールに凄い憧れてたって。

広山:へー!

宮原:「新劇」という所から評価されたいって凄く思っていたみたいで。紀伊國屋ホールは新劇の聖地だったから。

広山:そうですよね。

宮原:つかさんが劇場に来るとお祭りになるみたいですね。

広山:お祭り?

宮原:お客さんと同じように、劇場スタッフもみんな喜んでいました、みたいなことも書かれてて。

広山:つかさんを追っていくことで、その時代の演劇の雰囲気も伝わってくるって感じですね。

宮原:凄い伝わってきますね。1982年というのは、劇団「つかこうへい事務所」が解散するまでが書かれていて。続編で『つかこうへい正伝Ⅱ』もあって、そこでは1982年の劇団解散から1987年の「演劇活動再開」までの、いわば空白の期間となっていた頃のことが書かれています。

広山:わあ、面白い。

宮原:実はまだ僕もⅡは読めていないので、詞葉さんに読んでもらってここで話してもらおうかと思っています(笑)

広山:分かりました(笑)『つかこうへい正伝』にはどんなつかさんが描かれているんですか?

宮原:脚本をどういう風に書かれていたか、とか、実はこの女性に惚れていたんじゃないか、とか。

広山:赤裸々な。

宮原:結構赤裸々ですね。帯にも書かれていますけど、「役者はウケてんじゃねぇ、オレがウケてんだ!」も人柄が出てるなと。

広山:これ凄いですね、今までインタビューを受けてくださった皆様が、つかさんの印象に残っている言葉でこれを挙げてますよね。

宮原:そうですね。この本には風間杜夫さんや平田満さんや井上加奈子さんや三浦洋一さん、角野卓造さん、柄本明さんなど、今も活躍する方々が続々と登場するんですが、あ、そこで出会ってるんだ!とか、その時もうここにいたんだ!とかも楽しめます。

広山:ちょっと今、目次だけ見てても面白くて、第5章「教祖への道」。

宮原:よく書きましたよね「教祖への道」って。でもこれって、つかさんが亡くなってから出版されてるんですけど、準備段階はご存命だったわけで、

広山:はい。

宮原:長谷川さんがこれを一冊書くのに構想含めて6年くらい掛かってるんですよね。僕がこれを読んで思ったのは、つかさんは本当に人が好きなんだと思うんです。誰と誰が今そこで揉めていて、よし、じゃあオレが解決してやろう!とスッと中に入ったりするエピソードなんかもあったりして。

広山:そうなんですね!わたしも少し目を通した時に、面白かった所があって。

宮原:なんですか?

広山:つかこうへい、つかこうへい、つかこうへいつかこうへい、「いつかこうへい」と言われている有名なあのエピソードがありますが、実はそんなことはないっていうのありましたよね。

宮原:ありましたね。

広山:それが衝撃で(笑)

宮原:(本を開いて)ここですね。「つかこうへいのペンネームについては、そろそろ触れておかなければならないだろう。つかこうへいが、“何時か公平”を意味し、自らの在日韓国人という立場への思いが込められているという、現在すっかり独り歩きしてしまった説を唱えたのは、評論家のソンミジャである。(中略)つかは否定しながらも、「ぼくはいつも虐げる人間と虐げられる人間を描いてきたから、そう受け取ってもらっても構いませんよ」と、微妙な答え方をしたというのだ。ああ、つかさんやったな…と僕は思う。」ってありますね(笑)

広山:ははははっ(笑)

宮原:「ゆえに“何時か公平”説を伝えられたとき、つかはかなり面白がったのだと思う。「これ使える」と、瞬時に判断したのだろう。思ってもみなかったこじつけにどこか喜び、「そう受け取ってもらっても構わない」と言葉をわざと濁して、ニヤリとしたのではないか。」

広山:面白い。このエピソードだけでもつかさんの人柄が見えてきますね。

宮原:他にもエピソードは沢山あって。

広山:はい。

宮原:長谷川康夫さんが主演で決まってた舞台を急に降ろされたことがあって、「お前、自分が降ろされた舞台見たくねえだろ、どっか行ってこい」ってお金を渡されて長谷川さんが一人で遠くに行ってはそこで、黙々と脚本の写しをさせられてたらしくて、それを面白おかしくネタにされてたって。

広山:そんなことまで書いてるんですか。

宮原:この本の最後は、映画版「蒲田行進曲」のことが書かれてて終わるんですけど、つかさんが、監督の深作欣二さんにジェラシーがあったらしくて。

広山:嫉妬されたんですか。

宮原:自分の作品を映画化することになって、舞台よりもヒットしたことを現実に見せられた時に、執筆を一度辞める時期に入ったから、それも影響したのかなとか思いながら読んでましたね。

広山:そこから『つかこうへい正伝Ⅱ』に繋がっていくわけですね。

宮原:はい。改めてこの一冊っていうのは、つかこうへいさんを知る上でバイブルと言っても過言ではない一冊だと思います。つかこうへいさんがどこで生まれて、どういう境遇で育って、どんな学校に行って、どんな方々が周りにいて、どんな道に進んでいくのか、初めて劇場に進んでいく時の話も書かれています。そこから“つかブーム”になっていくまでの流れなど全てここに詰まっています。是非、興味を持って頂けた方は、一緒に読んでいきましょう。

広山:ありがとうございました!

宮原:ありがとうございました!